二次元に逝く:番外編「ワドルディの食文化大革命とは・・・」
ワドルディの食文化大革命
ワドルディの食文化大革命(わどるでぃ - しょくぶんかだいかくめい)は、プププランドにて発生した軍事クーデター、発展して社会主義革命である。ワドルディの乱、首謀者の名をとってワドルドゥの乱とも。クーデタにより、一時的にプププランドはデデデの王政からワドルディが支配する共和政となった。
ワドルディ食文化革命
『食料の為立ち上がり革命を誓いあい飢えたる者たちが結束した。同志ワドルドゥ』
(2003年、??画)
種類 軍事クーデター
目的 国防兵士に食料を配給するための大規模な武力闘争
また、独裁主義化の維持しようとするデデデ政権に対する
社会主義の原理闘争
対象 独裁主義によるデデデ政権
結果 デデデ王政がワドルディ一派を懐柔し和解
それによりデデデ王政の事実的勝利だが
ワドルドゥ一派の要求はすべて通っており
デデデ王政の勝利なのかは、議論の対象となっている。
発生現場 ポップスター星・プププランド領・デデデ王国
指導者 ワドルドゥ
背景
事の発端はプププランドの軍事防衛費の問題であった。
元々軍事費の削減目標を掲げていたデデデ大王は、国防軍兵士の食費の膨大さに激怒。しかも、食事の質も国家元首である自身よりも上(大王自身の食事はカップ麺)であることから兵の食費の削減に着手し、最終的に兵士一人当たりの食費を1デデンにまで削減した。
言うまでも無くこの措置に軍部は大いに不満を抱き、国防軍最高指令ワドルドゥは兵の待遇改善を直訴するも大王はこれを拒否。これにより傾きかけていた国家財政は再建されたが、大王が軍部との間に残した確執はあまりにも致命的なものだった。
財政難の原因
原因は主に国家予算の90%を占めている国防兵士の食費、それを賄おうと
カートレースやテーマパーク、美術館や博物館のイベント、国内のデデデ帝国銀行の発足による財政の確保や様々な公共事業をデデデ王国の主要取引先である巨大軍事企業ホーリーナイトメア社の提供、支援、融資等の様々な支援により実施。
だが、ホーリーナイトメア社の敵対組織である星の戦士団(銀河騎士団)の最終兵器である空飛ぶピンクボールの飛来により、国民の政治思想の変化による国内の治安悪化、暴徒鎮圧及び、空飛ぶピンクボール通称カービィの撃退の為に生物兵器MAJUを購入が度重なり、借金が膨らむ。
現状の解決のため、デデデ陛下は、
「産業革命、食文化の発展向上、国民の学力向上、デデデ王国の開墾による領地拡大」
を政府の方針、実施するがカービィの暴動が原因で失敗
デデデ王国の文化資本レベルの低下、偏向番組の放映などにより
デデデ王国は大きな損害を受けた。
それにより、さらなる国民の政治不信および反デデデ政権に傾く風潮が流れ
テレビ番組等のマスメディアよる情報操作やプロパガンダを実施するが、
あまり効果が無く、数多くの政策、公共事業の失敗が重なり、
ホーリーナイトメア社への負債が膨らみ続け、その額なんと
1,170,411,246,413,708,686デデン(117京441兆2464億1370万8686)へと上った
当時のレートは1デデン=約100円だという
デデデ王国の宰相、メタナイト卿の裏切りによる秘密裏の対ホーリーナイトメア社討伐のための戦艦ハルバードの密造も原因に含まれるとみられる。
経過
事件は食費削減令実施から数日後に起こった。昼食の時間に兵士の一人が空腹のあまりに調理担当官・コックカワサキに対して食事の増量を要求し、コックカワサキが要求を拒否すると激怒した兵士の一団が暴行を加えたのである。この事件は急速に拡大し、暴動に発展。さらに軍部のクーデタにまで発展した。軍部はデデデ大王の権威を象徴するものすべてを破壊し、さらにデデデ大王・エスカルゴンを一時的に退位させるまでに至った。その間、日本時間にして約4分の出来事であった。
さらに人民裁判所を設置し、ブルジョア階級の排除を決行。プププランド国内のブルジョア筆頭であった、大臣・パームとメーム夫人(フームの両親)を逮捕し強制連行(強制起訴)。コックカワサキと共に「人民の敵」「反革命分子」として人民裁判にかける。このことから近年ではこの革命を社会主義革命とする見方が増えてきている。
このとき国旗も変更された。
その際、使用された新国旗
軍部の行動を鎮めるべく、デデデ大王は軍部を懐柔すべくホーリーナイトメア社からモウ・タクサンを購入し、食事を支給。
そしてカービィの能力カービィショウジンテイショクによって、乱は完全に鎮圧された。
その後
同志ワドルドゥ率いるワドルディ一派との和解によって、革命は転換点を迎えた。
過剰な革命運動は沈静化し、デデデ政権が事実上の復権を果たす。
2003年7月26日、ワドルディによる共和政の解散されて絶対王政が再び成立したが、
宰相メタナイト卿は銀河戦士団である疑惑、フーム、ブン、カービィによる国内のレジスタンスの結束などの陰謀が持ち上がるなど体制は不安定だった
約4分で王政を制圧、約1分で懐柔されるが、食文化大革命によって生まれた
ワドルドゥ政権は自称17052代続きデデデ大王即位300年の独裁主義による絶対王政を一時的とは言え、崩した功績をたたえられ、指導者・ワドルドゥは多くのワドルディからはプププランドのレーニンと呼ばれ絶大な信頼と支持を得た。
この闘争は事実上デデデ政権の勝利とされているが、ワドルドゥ一派の要求は、
全て呑んでおり本当にデデデ政権の勝利かどうかの真相は明らかになっておらず
秘密裏に協定を結んでいたのではないのかと疑問視する声が上がっており
真相は未だ謎に包まれており専門家による議論の対象とされているようだ。
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